宗麟公園 大友宗麟公墓

大友宗麟公墓 (市史跡 平成八年一月十一日指定)

 大友宗麟(1530~1587)は、戦国時代、中九州六カ国を支配した武将として、また、キリシタン大名として有名です。
 ここ大分県津久見市は、その大友宗麟終焉の地です。樹齢100年を越える杉木立は、かつて「天徳寺の森」(宗麟が建てた教会)と呼ばれ、森の中は、凛とした空気を漂わせています。
 「宗麟」という名は、永禄五年(1562)禅宗に帰依し、剃髪して名乗ったもので、通り名として一番使われている名前です。
 宗麟と津久見とのかかわりは四〇代後半、天正六年(1578)の日向進攻以前にか遡ります。その後、天正11年、天徳寺に隠居すると、この地に長年の夢であったキリスト教による理想の国づくりを目指します。しかし、志半ばにして昇天。享年五八歳でした。
 当初は、キリスト教式の墓に葬られましたが、秀吉によりバテレン追放令が発せられると、長男、義統(吉統)は、仏式に改葬しますが、その墓も荒廃してしまったといいます。
 現在の墓は、寛政年間(1789-1801)旧家臣の末裔臼杵城豊により改葬されたもので、この時、城豊は、墓碑を新調し、長泉寺(市内宮本町)に供養を依頼したと言います。

 墓石正面には、「瑞峯院殿前羽林次将兼左金吾休庵宗麟大居士」、側面には、「天正十五年丁亥五月廿三日春秋五十有八歳」、「九州二島伊豫官僚 従四位下兼左近衛少将 大友左衛門督源義鎮」とそれぞれ刻まれています。その碑文を読む時、家臣の主君に対する畏敬の念が伝わってくるような気がします。

 時代が移り変わる中、堂宇も建て替えられましたが、昭和五十二年、上田保氏を発起人として「大友宗麟公顕彰会」が結成され、磯崎新氏の設計のもと、キリスト教式の墓碑を並べ、今日みるような墓地に生まれ変わりました。

2014.11.28 宗麟公園

宗麟公園 地図

・普通車15台  ※観光バスは駐車できません。 
JR日豊本線 津久見駅から車で10分  

〒 879-2421 大分県津久見市大字津久見字ミウチ4198-1
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